お盆なので夫の実家にお世話になっています。
一昨日は海水浴に行きました。
膝下くらいの深さでも掌大の魚が泳いでいるのを見ることができ、楽しかったです。
帰りに近くの松原でまつぼっくりをとりました。息子がすごく気に入って、大事にTシャツのポケットに入れて墓参りに行きました。
しかし夕方、気がつくと息子がまつぼっくりを持っていないのです。
まつぼっくりは?と聞くと、目を丸くしてポケットの中を覗き込み、「まつぽっくり、ないの〜」
ええーっ、あんなに大切にしていたのに、いつのまになくしたの?
そこから、家族総出でまつぼっくり探しです。
しばらく捜したけど見つからず、息子もまつぼっくりがなくなったことをそんなに気にしていない様子だったので、捜索は打ち切りとなりました。
探すのをやめたとき、見つかることもよくある話で と井上陽水は歌いましたが、それは真理だと思います。
夕飯後、床掃除をしていたばあばがまつぼっくりを見つけたのです。
扉付きの棚の、一番下に入っていたのです。周りにはゆずのライブグッズや銀テープなど、ばあばの大切なものが仕舞われていました。
息子は大切な物たちの隣にまつぼっくりをを並べて、そのまま忘れてしまったのでしょう。
まつぼっくりが見つかって、息子は大喜び。
今は誰でも見える、テーブルの上に松ぼっくりを飾っています。
息子にとって、今はまつぼっくりが宝物です。
いいな、大切にできる宝物があって羨ましいです。
小学生の時、宝物を持ってきてクラスの皆に紹介するという授業がありました。
私は特に宝物と言えるものがなくて、漫画雑誌の付録のポストカードを20枚ほどアルバムに入れ、集めている宝物ですと紹介しました。もちろん即席の宝物なので、持って帰ってからはどうなったか覚えていません。
クラスの子が何を紹介していたかも、よく覚えていません。嘘の宝物をいかに宝物らしく紹介するか、それで頭がいっぱいでした。今なら、宝物はありませんと正直に言ってしまう道もありかと思います。しかしそんなイレギュラーなことを言うやつを受け入れてくれるほど、小学生の世界は優しくありません。先生が出した宿題をやってこなかったズルイやつというレッテルを貼られるかもしれません。それならまだ嘘をついて、宝物がある子というテンプレートにはまったフリをしたほうがましです。
しかし当時を思い起こすと、私にも宝物らしいものはありました。大好きなおばあちゃんと撮った写真、一番お気に入りの朝顔で作った押し花、お母さんが作ってくれた飛び出すカエルのお誕生カード、春になれば羽化すると信じている蝶のサナギ(小学生ならではの奇行ですね)。これらを学習机の鍵付きの引き出しに大切に仕舞っていたのです。今思えば、あれらは宝物だったと思います。
ところが小学生の私は宝物という言葉のハードルを高く捉えすぎていて、相応しいものは持っていないと思っていました。宝物だといえば誰もが理由も聞かずひと目で納得するような、キラキラしていてなかなか手に入らないものが宝物だと思いこんでいました。しかしそんなものは家には無かったので、流行りの漫画のポストカードを持っていったのです。これなら皆知っているし、きれいでかわいいから宝物としての信憑性がある、宝物らしいと判断したのです。
今の私の宝物は、もちろん息子です。あと、夫と息子と、家族3人で食べる晩御飯の時間です。
あ、なんだか恥ずかしくなってきました。でも、これは本当です。
育休明けて、私が稼ぎ頭だからと張り切って働いた結果、家族としての時間は減り、その上心身ともに壊れてしまいました。
なんでもないような息子との時間や、家族で食卓を囲むことがとても大切だと学びました。
これが私の宝物だと、今は胸を張って言えます。
やはり照れくさいですけどね……
これで隠れたつもりの私の宝物です。
うちの息子もポケットに色々入れるようになり、まつぼっくりだけでなく、ダンゴムシの死骸を入れていました……
これから洗濯の時のポケットチェック念入りにしなければいけませんね。
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