ぽっちログ

新人かあさんぽっち 2歳児を育てる記録

またひとつ夏が終わる

今週のお題「夏を振り返る」

毎年この時期にはスピッツの「夏が終わる」が頭の中で流れます。

またひとつ夏が終わる 音もたてずに

この曲を思い出すことにはもう夏はすでに終わっていて、暦の上では秋です。

本当に夏はいつ終わったんでしょう。

突然涼しくなって、その後また暑くなりましたが、夏の暑さとは違いますね。

あの肌を直火で焼くような夏は終わりました。

寂しいなぁ。もっと遊びたかったな。

 

 

 

この夏一番の思い出といえば、やはり川に流され死ぬかと思ったことです。

 

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 川に遊びに行くときはちゃんと準備をしなければ自殺行為だと学びました。

 

 

あと、大きな変化は休職していることです。

私は昨年9月、息子が1歳2か月の時に復職しました。

始めは私が稼ぎ頭だからと思って張り切って土日も働き、夜勤もしていました。

しかし育児時間を利用して16時過ぎに帰るようにしていても、実際はとてもそんな時間に帰れるような状況ではなく、帰宅が20時になることはしょっちゅうでした。

そんな時間に帰ると、息子が夫とお風呂を終えてニコニコしている日もあれば、涙で顔をぐしゃぐしゃにした息子を抱いた夫がマンションの駐車場をさまよっていることもありました。

私の夫は、子ども好きの賢くて優しい夫です。

だけど、人一倍デリケートで、疲れやすい人でもありました。

次第に夫は息子と2人きりでいることが精神的につらくなり、叫んだり、物にあたるようになりました。

義父が助っ人に来てくれる時もありましたが、なかなかの距離があるので、毎回頼ることもできません。

夫から「もっと早く帰ってきてほしい」「夜勤をやめてほしい」「息子を殺すかもしれない」

そう言われて、あの優しい夫がこんなことを言うなんて、とショックを受けました。

しかし、その時の私には夫をなだめ、息子をあやすことしかできませんでした。

その場をなんとかすること、残ったわずかな体力と気力ではそれが精いっぱいで、家庭環境を整える、そんなことをする力はありませんでした。

状況は何も変わらないまま、朝になるとまた仕事に出ていました。

なるべく早く帰りたい、そう思って必死で仕事をして早く帰れる日もありましたが、どうしても帰れない日もありました。

上司に相談して、仕事の内容を配慮してもらうことになりました。

そして早く帰れる日が月に4,5日になりました。

しかし、はじめは丁寧に話を聞いてくれた上司も、「義実家に引っ越してはどうか」、「義実家にはいつ引っ越しますか」「どういう話になっていますか」と状況を強い口調で確認してくるようになりました。

私が早く帰れるように仕事を減らしてもらうことで、職場に迷惑をかけているのですから、それについて確認することは当たり前なのかもしれませんが、家庭を土足で踏み荒らされているような気分になりました。

上司と2人きりになると、必ずこの話題になるので、避けるようになりました。

 

 

私が職場復帰をすると、それまで元気だった子どもが、毎月1回は感染症にかかって高熱をだすようになりました。

子どもが病気になって保育園を休むと、夫だけでは看病ができなくなっていたので、私は仕事を休みました。

仕事を休む電話をするのは気が重く、手が震えました。

口にはしないけど、電話越しの上司の威圧的な雰囲気、「また?いい加減にしてよ」というニュアンスの嫌味に気管を直接絞められているかのような苦しさがいつまでも続きました。

本当は休まず、病児保育や祖父母に預けて仕事に行った方が職場での立場は何万倍も楽です。

職場の先輩母さんたちは、実際にそうやって乗り切って、仕事を休んでいる人はほとんどいませんでした。

しかし、そうできない都合もあるし、病気でわが子が一番しんどい時にそばにいてあげたいという気持ちがありました。

でもそれは職場にとっては悪いことなんだろう、と落ち込みました。

子どもが病気になると、私も体調を崩しました。

ろくに寝ずに看病をして、ぐずる子どもを密着して抱いていれば、体調を崩すのも仕方ないことです。

しかし、職場はそうは思いません。

「うがいと手洗いがちゃんとできていないから、うつるんです。自己管理ができていませんね」

そういわれました。

それからは、多少熱があっても薬で抑えて仕事にいくようになりました。

息子の熱以外で休むことはできない、そう考えていました。

ところが、段々と息子の病気には関係なく、私は週に1回くらい熱を出すようになり、ついに精密検査を受け、重い肺炎になっていることがわかりました。

そして2週間休みをもらって、療養することになりました。

 

 

 

 

これですっかり体調はよくなりましたが、心はつまずいたままでした。

仕事中は早く帰らなけらば、そして職場の皆さんには迷惑をかけないようにしなければ、そればかり考えていました。

早く帰らなければ、息子がずっと泣いているかもしれない、夫も息子と泣いているかも、もしかしたら2人で死のうとしていたらどうしよう。

職場の人にも、たくさん休んで迷惑をかけたから、自分の仕事は自分で終わらせてかえらなければ迷惑がかかる、裏で悪口を言われる、いやもう言われているんだろうなと考えていました。

実際の職場には、私を早く帰らせようと自ら仕事を請け負ってくれたりする人もいまししたが、それもかえって自分の不甲斐なさを実感して辛く感じていました。

また時には年配の方に「大変なのはみんな一緒なんだからちゃんとしてよ」とズバリ言われるばかりか、逆に仕事を増やされることもありました。

そうなると、早く仕事を終わらせなければいけないのに、不安で心配で手が震えて動悸がして、涙がこぼれるようになりました。

そんな自分が情けなくて、帰りの車の中でもずっと泣いていました。

 

 

 

新人のころから、いじわるとしかいいようのない先輩がいました。

その先輩は私が育児時間ちょうどで帰ろうとすると仕事をまわしてきたり、電話をとらせたりしました。

 周りに人がいないときにすれ違うと、舌打ちをされたり、カートを蹴って大きな音をだされたり、「うっとおしい」「ムカつく」と言われたりしました。

産休に入る前からそういうことをされていましたが、職場復帰してからはさらにエスカレートしていました。

そしてある日、面とむかって、

「腹が立つ。あんたがいるだけで腹が立つ。たくさん休んだり、早く帰ったりしているんでしょ。だったら、自分の分だけじゃなくて、みんなのぶんも仕事しろよ」

とすごい剣幕で言われました。

もちろん、手が空いているときは他の人の仕事を手伝っていますが、自分の仕事を終わらせることを最優先に考えていました。

その働き方が気に障ったのだと思います。

私は、その時はあまりショックを受けていませんでした。というか、腹が立っていました。

その人が言うような働き方をして、家に帰るのが遅くなったら誰が代わりに息子をみてくれるのか。保育園のお迎えに誰が行ってくれるんですか。ご飯をたべさせて、お風呂に入れてくれる人がいるんですか。

そう思って腹の中は煮えくり返っていましたが、後から精神に響いてきて、休みの日でもそのことを思い出したり、夢に見て汗をかきながら夜中に起きるようになりました。

そう言われたことを別の先輩に相談すると、「え、そんなことを言われたの!」と憤慨してくれました。

先輩に話したことで、少し気持ちが軽くなって、もう少し頑張れるかもしれないと思いました。

その矢先でした。

息子の手足口病をもらい、私も寝込んでしまいました。

感染予防をできる限りして、でももらってしまったので、すごく落ち込みました。

そして再び上司からの苦言をあび、心身ともにまいってしまいました。

ある日、車を運転しようとすると、上半身全部が心臓になったくらいの強い動悸がして、息の仕方が分からなくなり、手が震えました。

頭の中は、突然起こったことに動揺しながらも、上司や嫌な先輩に言われたこと、自分が情けなくて死んだほうがましなんじゃないかと泣いた時のことがぐるぐる駆け巡っていました。

落ち着いてから、夫に相談して精神科を受診することにしました。

上司に報告すると、「飛び込みでもいいので、早く精神科を受診して薬を2日くらい飲んで調子がよくなったら仕事にきて。」と言われました。

そういわれて、スッと胸が冷たくなったのを覚えています。

長く勤めたけれど、もうやめてもいい。

私の人生は仕事のためにあるのではない。

私の人生は私のためにある、そう思いました。

上司は飛び込みで診てもらいなさいといいましたが、精神科の予約はすぐにはとれないものです。数日後に初診でみてもらいました。

適応障害との診断がつきました。

そして今は自宅で療養をしています。

 

 

療養しはじめてから気付いたことがあります。

頑張りすぎていたこと。

お金はなんとかなるということ。

幸せは、皆が笑顔で夕食を一緒に食べることだということ。

今は、時々動悸がしたり、嫌なことがフラッシュバックして吐きそうになりますが、薬を飲みながらなんとか生活しています。

ワンオペで仕事も育児もして子どもが病気になっても休まず仕事に来る人もいます。

でも、私にはそれはできませんでした。

だから情けない、役立たずだと泣いてばかりいましたが、今はそんなスーパー母さんはほんの一握りだし、当たり前でそんなことができるわけじゃないと分かります。

まあ、こんなこと言ったら「これだから女は。仕事に迷惑かけるやつが子どもなんか作るなよ。無理なんだったら仕事辞めろよ」と思う人もいるかもしれません。

そんなこと言ってたら、子ども産める人いなくなる……

まあそれはおいといて。

これから私は、私たちの家族が幸せに生活できるように、働き方を考えていく必要があります。

その結果、今の職場ではそれが無理となったらやめることも選択肢に入れています。

働く場所はたくさんあるので、もう少し短い勤務時間か、子どもが病気になっても融通の利く職場についてよく考えたいと思います。

夫と、息子と、3人で明日も笑ってご飯が食べられるように、がんばります。

 

 

 

 

今日はちょっと息の詰まる話になってしまったので、最後にちょっとおまけを……

最近の息子のかわいい写真を見ながら絵をかいてみました。

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手でハートマークを作ることを覚えました