今週のお題「二十歳」
ちょうど10年前、20歳の頃。
私は大学生で、山にあるけど海も見える田舎の大学で看護師の勉強をしていた。
実家暮らしだし、大学は田舎で勉強ばかりで忙しいし、20歳になったけれど今までとそんなに変わりがないように感じていた。
ある日、母方の祖母が「20歳のお祝いにお財布を買ってあげる」と言ってくれた。
母方の祖母とはあんまり話したことがなかったし、今まで誕生日もお年玉もスルーだった。
それなのに20歳のお祝いをしてくれるということに、すごく驚き、身内相手に恐縮した。
その反面、ちょうど雑貨屋さんで買った財布の合否の皮が剥がれ始めたところだったので、すごく嬉しかった。
私は祖母に甘え、財布を買ってもらうことにした。
当時、私は「ゆめタウン」が大好きだったので、「ゆめタウン」で財布を買いたかった。
しかし、ド田舎に住む70歳半ばの祖母を行き慣れぬ店で「ゆめタウン」で疲れさせてはならない、しかし財布は気に入ったデザインのものを使いたいので即断即決は難しいと思い、下見にいくことにした。
1階の財布売り場を回ったが、ピンとくる財布は見つからなかった。
えー、困った、ゆめタウン以外に財布を売っているところを知らないのに。
そう思ってふと、店の柱に拵えた棚を見ると、ディスプレイされた財布と目が合った。
これだ!
と思ってその財布を手に取ると、理想的な値段であった。
良し、これを買ってもらおう。良い良い。
あ、でも残り1個しかない。
なくなっちゃうかも。
そう思った私は、祖母と買いに行こうと思っていたことなど忘れ、自分で財布を買ってしまった。
アーノルドパーマーの2つ折り財布、当時3150円。
↑この形で、色はキャラメルのような茶色、傘のもようが大きく刻印されているのがとても可愛かった。
一仕事終えた気持ちで家に帰ると、祖母からちょうど電話がかかってきていた。
祖母は、「財布を三越に買いに行こうと思うんやけど」と言ったが、今日気に入った財布を見つけて残り1個だったからもう買ってしまったことを伝えた。
祖母はそれに対し、笑いながら「じゃあお金だけ渡すわの」と言ってくれた。
いくら、と聞かれたので「3150円だった」と答えたら、聞いたことのないくらい大きな声で値段を繰り返された。
「三越に行って、ルイヴィトンの財布を買おうとおもっとったのに、3000円!?」
「ううん、3150円やで」
「お祝いやのに、もっと良いの、買ってあげるよ」
「でも本当に気に入って買ったし、ルイヴィトンまでいらんよ」
当時、ルイヴィトンは常に財布の中に数十万入っているようなお金持ちが持つ財布だと思っていたので、普通に断った。
惜しいことをしたという気持ちは全くわかなかった。
アーノルドパーマーの財布が本当に気に入っていたし、ルイヴィトンが私の財布になったらそんなにたくさんのお金を入れてあげることができなくて可哀そうだと思っていたから。
結局、祖母からお祝いで3万円をもらってそれで旅行に行った。
アーノルドパーマーの財布は結局6年使って、2つ折りの「折」の部分が破れてしまったので新しい財布に買い替えた。
今回のお題が20歳、そして今ちょうど財布を買い替えようと探しているところだったので、この出来事を思い出してしまった。
あの祖母の驚き様はすごかった。
今考えるとお祝いで買うって言っているのに3000円は安すぎる。
10年たつと祖母に「孫にある程度お金をかけた記念品をあげたかった気持ち」があったことがわかる。
貧しい親では買ってあげられない記念品を買って、喜んでほしかった。
さらにいうと現金じゃなくて、形に残るものを渡したかったんだよね。
当時の私はそこらへんの「もらう側の気遣い」として、相手の気持ちを考えることができていなかったと思う。反省。
でも、値段じゃなくて本当に気に入ったものが欲しかったとか、財布にお金をかけるなら旅行に行きたいという当時の自分の気持ちも覚えている。
この気持ちを抑えてルイヴィトンの財布を買ってもらっても、財布を見るたび泣きたい気持ちになっていただろう。
両者が納得するためには財布ではなく別の物を、例えば時計とか買ってもらうのがベストだったのかもなぁ。
一緒に美味しいものを食べに行ってもよかったかな。
祖母は翌年からぼんやり認知症っぽくなった。
そして、私が25歳になるまで毎年「20歳のお祝いをあげる」と言い続けた。
よほどこの出来事を悔やんでいたのかもしれない。
ばあちゃん、ごめん。
ちなみに今いいなーと思う財布はCOACHの林檎
文庫大関の夢幻のタピ(タピはタピオカじゃなくて、絨毯のことだって)
あたりが可愛いが、ちょっとポンと出せる値段ではなくて怯んでいます。
縁起のいい春財布と言えるうちに勝負を決めたいと思います。